像高約4米だと云う。金堂では縁日法要が総出仕と思えはれる程の御僧によって執行されている。
堂に溢れんばかりの善男善女が僧の大般若経に斉唱して粛条である。.律令国家の文化的象徴として金堂内に安置された、天武天皇発願の薬師三尊像は、天下屈指の名像として貴掲されてきたと云う。
中央の丈六の薬師如来像は偉丈夫然とした大らかな尊容をみせ、たくましく内実した端叢な姿で、張りの強い堂々とした体駆に薄手の衣を纏い、左脚を上に組んで須弥座上に結跏趺座されている。
右手は掌を前に指を一寸捩じって、説法印と称するのだと云う。左手は膝上にゆったりと置き、中指を曲げているのは薬壷を支えていたのではないか。今薬壷はない。
古い記録によれば青瑠璃の壷を置き、そこに不死の霊薬を納めていたと薬師寺の文献にある。左手で不思議な光を放って礼拝客の注目を浴びたであろう事か容易に想像される。
輪郭のはっきりした端正な面相、頭、体、四肢各部の整った体躯、柔軟で充実した肉付等、仏の形姿としては最も洗練された美しいものであり、中国の唐代彫刻の理想美を継承しているとも云っている。
.薬師三尊の脇侍は向って右が日光遍照菩薩、左が月光遍照菩薩で、それぞれ頭を中奠の方へ傾げ、腰のひねりをきかせた立ち姿で、重心を中尊側の足に移し外側の足を遊ばせた動きのある姿勢である。
頭部、上半身、下半身とで傾きを違えたこの特徴は後にトリプルハンガと呼ばれたインド彫刻の理想的な身体構築法であると云う。
この国宝である薬師三尊の正面に対していて、ふと、最近の中国の経済的台頭が日本の将来に恐怖をもたらすのではないとの危惧を感じた事を記しておきたい。
初薬師の薬師寺で見落してはならぬものに吉祥天女像がある。金堂中尊の前に祀られた縦2尺足らず、横約1尺の絹布画像で奈良時代には福徳豊穣の守護神として崇敬されたものである。
吉祥天は円光を負い、髪に簪を飾り、左手掌に福徳を象徴する赤い宝珠をのせている。
右手はそれに添えるがごとく掌を伏せて胸前に置き、右方に緩やかに歩を進める白肉身に賦され、ほのかな淡紅の隈取や髪際の毛描、髪のほつれ、赤い口唇、胸元に僅かにのぞく乳房のふくらんでいる。
そして細かくしなやかな指先の描写等、何れをとっても精緻、優艶である。
その容貌はまさに蛾眉豊頬の唐代美女で、豊満な肢体には多彩な衣装をつけ、薄羅の頒布をなびかせている。それはまさに仏画ではなく美人画である。
本尊薬師如来の台座に浮彫されている文様は、当時の世界各地の文化を集約している。
上框にギリシャの葡萄唐草文、中框にインドの福神像、下框に中国の四方四神(東・青竜、南・朱雀、西・白虎、北・玄武)そして周囲にはペルシャの蓬華文が彫られている。
これは奈良時代の日本の文化が、国際的な広がりを持っていた証左であろう。金堂を後ろに抜けると大講堂で、正面41米、奥行20米、高さ17米あると云う。伽藍最大の建造物で金堂もよりも大きい。
これは古代伽藍の通例で、南部仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧を集めて経典を講讃した為だそうです。
この大講堂の御本尊は彌勒三尊像です。またその後には仏足石・仏足石歌碑が安置されていましたが文字は私には読めませんでした。そしてその両脇にはお釈迦様の十大弟子も祀ってありました。
句会は生駒のコミュニティセンターで何時もの通り主宰を中心に和気藷々、それにしても白鳳の美しさに魅せられた満足の吟行であった。多数の御参加ありがとうござました。次回もよろしく。
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