1964年に解体修理が行われた際、奈良時代の銅造り如来立像、鎌倉時代の金銅舎利塔、水晶五輸塔、木造地蔵菩薩立像、木造大日如来像、1253年の墨書のある箱入り法華経等が発見された。
これらの納遣品は一括して国の重要文化財に指定され、春と秋の特別寺宝展で公開されて居ります。
眞直ぐ重塔ヘコスモスの径が続く。背は低いが薄草色の細い葉が固って高さを揃え、それなりに美しい。右から廻って経蔵を
背に塔の正面に出る。読経・勤行の為の種々備品が設えられている。
重塔の影を流せる秋の雲 雄次郎
秋天を仰ぎ十三塔仰ぐ 多津子
秋桜三十三佛供華として 佐知
相変らず日差しは強く汗がにじむ。正に秋暑しである。本堂の階を上る。新涼の風にほっとして振返ると甍の上に東大寺の屋根が見え、かの鴟尾が輝やいている。しばらくは放心した様にこの奈艮の大景を眺めていた。
薄暗く荘厳さを秘めた本堂に入り、国重文の御本尊木造文殊菩薩騎獅像を静かに仰ぐ。像高45.5糎の精緻な鎌倉彫刻である。
又展示されている唐櫃は大塔宮護良親王が足利軍に追われた時、この唐櫃に隠れて難を逃れたと云う「大平記に記述のある」唐櫃であるとの事。
本堂の階を下りて左側には笠塔婆(国重文)が二基建っている。高さ4.7米、花崗岩製、鎌倉時代中期の作で、板状の塔身に笠をのせ、伏鉢、請花、飾り宝珠がある。
塔身には刷毛書の梵字で種字をあらわし、下方には長文の刻銘がある。
1261年に、十三重塔を造立した宋の石工伊行末の子行吉が父の追善供養と母の無病息災を願って建立したと云われている。
秋日燦望みて盧遮那佛の鵬尾 窓城
露草や藥研彫てふ笠塔婆 美和子
さやけしや四方四仏の彫り浅く 佐知
笠塔婆の道をそのまま進むと三叉路の辻に出る。
驚いた事に道路神が祀ってあって片手拝みをして出ロヘ急いだ。
寺苑全体を振り返ってみると、それ程広くない寺苑ではあるが大自然の中をゆったりと逍遙し、草木と親しみ、古刹の歴史に触れて満足の心がそこにあってこの寺の奥深さを感じさせられました。
鈴生りにかりんの実とは思はざり 浩
石像に秋暑の帽子目深にす 圭子
四代目相輸仰ぐ秋の空 徹
そろそろ時間である。慌しく奈良駅前行のバスに乗車、途中左手に天平時代の創建様式をそのまま伝える転害門を見る。扉は閉ざされたまま秋日を眞っ向うにして如何にも秋暑の門である。
昼食後鹿を見ながら公園に沿って句会場の奈良県立文化会館へと急ぐ。
いつもの様に締切時問が近づくと緊張感が灌ってくる。佐知先生の選評等、御指導を項き盛会裡に終了致しました。
コスモスの花の盛りには早く残念でしたが、重文の数多、自然の風景を愛で、寺苑の散策を心ゆくまで楽しむ事ができました。
吟行に参加して、俳句をしていて良かったと思いました。次回の吟行も楽しみに致して居ります。
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