6月11日、引鶴の東大寺及び周辺の吟行に参加した。
午前10時、近鉄奈良駅の行基像前に集合し、東大寺を目指し歩き始め、興福寺の北参道に入る。
興福寺の東金堂は、726年に聖武天皇が元正天皇の病気平癒を願って造立され、現在の建物は1415年の再建。
この辺りには、天然記念物の鹿が沢山いて、石段を降りて猿沢池畔に至る。池には、亀が甲羅干しをしていた。
見渡す隈りの青葉と鹿に目を奪われているうちに、南大門に着いた。
南大門は東大寺の正門で、1203年に竣工した入母屋造は、5間3戸2重門の高さ25.5mもあり、大仏殿にふさわしい我国最大の山門である。
どの柱にも剥落した跡が目立ち800年の歴史を彷彿する。
さらに歩を進めると大仏殿である。中門の近くでは小学生が列をなしている。回廊の左側より入ると、前庭の青芝の鮮やかな色が目にしみる。
大仏殿は東大寺の金堂で、奈良時代の中頃、751年に大和の国分寺として創建された。聖武天皇は世の中の乱れを癒し、国家の安泰と民衆の幸福をはかると詔を出された。
しかし1180年と1567年に兵火に罹っていて、今の建物は江戸時代に公慶上人により3度目に建て直されたものである。
ただ天平・鎌倉時代の大仏殿は桁行11間であったが、再建では、7間に規模が縮小された。
それでも高さや奥行は創建時のままで、世界最大の木造建造物で、高さ48.7mもある。屋根の鴟尾が梅雨晴に光っていたのが印象に残る。
本尊の大仏さまは正しくは毘盧遮那(びるしゃな)仏と言い、華厳経の教主とされ釈迦如来の別名で、像は青銅で鋳造され鍍金が施されていた。
工事は3年、8度の鋳継ぎにより749年に完成し、752年に盛大な開眼供養会が行なわれた。
しかし855年の大地震、又その後の失火、1180年の平重衡の兵火により伽藍の大半が灰燼に帰した。