依水園・奈良公園吟行記
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平成20年5月11日  野田ゆたか
 引鶴の五月吟行は、恒例の第2日曜日である11日に依水園をメインとする奈良公園一帯において開催された。

 依水園への吟行は、故山口正秋先生ご健在の平成16年8月に開催されて以来二度目である。
再びの依水園訪ふ夏帽子 多津子
 
 私が管理させていただいていますインターネットホームページ引鶴の当時の吟行句会報に、ご参加者の句各一句とともに、選者詠の次の3句を保存させていただいています。
 
     遣水の音限りなく園の秋 山口正秋
   
     依水園庭の小流れ水の秋 山口正秋
   
     早紅葉や奈良に古りたる依水園 山口正秋
 
 私は、このようなことがあって今回の吟行は、季節は異なるが正秋先生に同道させていただいたことを懐かしみ、猿沢池・興福寺・依水園・句会場へと同じ道順をたどることにした。
 
 集合は、午前11時依水園入口と云うことで、多くの方が午前10時ころ近鉄奈良駅から奈良公園内を経て依水園へと向かわれたが、JR奈良駅から向かわれた方々もあった。
 
浮見堂鎮もり四方の若葉かな 舟津
 
 私は、午前10時近鉄奈良駅に来られた主宰をはじめ皆様方と小雨の降る中を猿沢池へと出発し、東向商店街のアーケード道を通抜け猿沢池の南端、采女神社前に出た。
 
万緑に塔を配せし奈良の街 ゆたか
 
 猿沢池は、周囲360b、池畔の青柳の枝垂れ越しに興福寺の五重塔を望む名勝である。
 この池には、「澄まず濁らず出ず入らず蛙はわかず藻は生えず魚が七分に水三分」と云う不思議を言い伝えているが、近年では、やや濁り気味の水質となっている。
 
新緑に染まり猿沢池光る 舟津
 
 池には、毎年4月17日の興福寺の放生会に鯉が放たれる。この鯉のほか、最近は亀の名所としても知られるようになってきている。
 
 晴天であれば、親亀の上に子亀を乗せ、子亀の上に孫亀を乗せて甲羅を干す亀の景が見られるのであるが、亀は水面に首を突出してただ浮き漂っているばかりであった。
 
顔見せぬ猿沢の亀若葉冷 ゆたか
 
 又いつもであれば観光客が岸に立てば緋鯉、真鯉が餌を求めて寄ってきて楽しませるのであるが、雨模様で鯉の動きも鈍く水面近くを回遊するばかりであった。
 
宙返りあざやか池の夏燕 とも江
 
 しかし池畔には、樟の若葉が香を放ち、雨にぬれた青柳をはじめ樫などの新樹が明るく池面に影を落とし、池堤には、姫女苑・羊蹄の花などの夏草が目につき、句材には事欠かなかった。
 
若葉雨悲話を伝へし池巡る 徹
 
 猿沢池の西北部に鳥居を背にした珍しい後ろ向きに小ぢんまりとした桧皮葺きの采女神社の社がある。
 
 同社は、春日大社の末社で「奈良時代に帝に仕えていた給仕をする女官の職名、采女」が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け入水した。
 
 この霊を慰めるために社が建てられたが、采女は身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにしたと言い伝えられている。
 
夏柳采女入水の池ほとり 律子
 
 平素は、門が閉ざされていて開けられるのは、采女祭など年に数回であり、平素は社に近づくことができず、門の外から格子越しに社の背面に向って拝礼することとになる。
 
 今年の采女祭は、次のように行われるとのことです。
  9月13日(土)
  宵宮祭:午後5時から(采女神社)
    9月14日(日)
  花扇奉納行列: 午5時(JR奈良駅から猿沢池)
  花扇奉納神事: 午後6時(采女神社)
  管絃船の儀: 午後7時(猿沢池)
 
 次に猿沢池の東北部から石段を登り法相宗の大本山として知られる興福寺伽藍へと向かう。
 
晴れてきし春日山脈若葉照る 窓城
 
 同寺の前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となる。
 
 興福寺の名は、平城遷都の際藤原不比等の計画によって移された際に名付けられたもの。
 
 伽藍は、薬師如来像を本尊とする東金堂。薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置され50b余の五重塔。観音菩薩像を本尊とする西国札所の南円堂。興福寺創建者藤原不比等の霊を慰めたと云う北円堂がある。
 
塔五重五月の風の高さかな 多津子
   
花橘香り芳し南円堂 とも江
 
 五重塔の前では、小雨降る中、袋角の鹿が修学旅行生など観光客に付きまとい餌の煎餅をねだっていた。この時、嫌がる鹿の隙を見て袋角に触れて見ると生あたたく、袋角の血流を感じられた。
 
袋角血脈浮きてあはれとも 佐知
 
 以前の伽藍では鹿の糞に閉口したものですが、今回は糞が見当たらない。鹿の様子を見ていると糞をする塵があると、塵取と箒を持った人が素早くやってきて拾いとられていた。雨の中、ご苦労様なことと思う。
 
お辞儀受け煎餅一枚袋角 恭生
 
 興福寺からは、県庁前交差点を経て依水園に向かった。
 途中、県庁脇に小倉百人一首「いにしえの奈良の都の八重桜けふここのへに匂ひぬるかな」の碑文を添えて植えられている八重桜に立止まったところ、可憐なさくらんぼをつけていた。
 
碑の奈良の八重なる花は葉に 浩
 
 依水園に到着したころには小雨も上がり、空が明るんでいた。
 午前11時、参加者全員による依水園内吟行が始まった。依水園の名前は、吉城(よしき)川の水に依っている事からと云う。
 
奈良山の水引き入れて苑五月 多津子
 
 同園は、総面積4千坪に及ぶ池泉回遊式庭園で前園と後園からなり、これらは創始を異にする二つの庭園を組合せたものです。
 
小流れの水音涼しき苑巡る 佐知
 
 前園は、江戸期の延宝年間に奈良晒業者、清須美道清が別邸を設け、庭の趣向を整え、萱葦の建物を造り、その披露に招いた、黄蘗山の木庵禅師によって、この建物は「三秀亭」と名付けられ、今日に至っているものです。
 
借景の山盛り上げし椎の花 恭生
 
 後園は、明治32年、奈良の富商、関藤次郎の気宇にもとづき完成され、庭の遠景には、左から若草山、春日山、御蓋山と連なっている。
 
夏霞む借景の山高からず 佐知
 
 中景には、東大寺南大門の瓦と、参道の並木などを借景として採入れ、園内に池を堀り、小山を築き、清流を導き、数個の伽藍石や、幾多の銘木、珍木を配り、巧みに周囲との調和が計られ、昔ながらの「寧楽(なら)の都」の面影を留めている。
 
新緑に甍の沈む南大門 伝三
 
 点在する建物は、東から、柳生堂、氷心亭、挺秀軒、清秀庵、水車小屋など、数奇をこらした萱葦や、檜皮葦の建物があり、これらがしっとりと雨に濡れ、晴天にはない情景を醸していた。園内は、どこに立ち止っても、どちらを向いても句材となる風情であった。
 
水音に癒され巡る苑若葉 舟津
 
 また園に併設されている寧楽(ねいらく)美術館は、古代中国の青銅器・古鏡・古銅印、拓本類と、中国・高麗・李朝・ 日本の陶磁器、日本の絵画などの優品を収蔵されていた。
 
 両庭園を通じて、平戸躑躅、敷島躑躅は盛りを過ぎていたが、花菖蒲、杜若、紫蘭、苔の花の風情のほか、要所要所の青楓が雨水滴りや雫を緑色に染めて輝いていたのが幻想的に美しく印象的であった。
 
雨しずく緑に染めて庭若葉 ゆたか
 
 この広大な庭園を詠んでいるうちに正午近くとなり、同園特製の麦飯とろろの美味を昼食にいただき、その後、句会場の奈良中小企業会館がある近鉄奈良駅前にへと向かった。
 
老鴬に障子を少し明けにけり 窓城
 
 句会は、午後1時30分締切で始まり、西村舟津さんによる互選披講、主宰の披講と講評をいただき散会となった。
 
 初夏の猿沢池、興福寺など奈良公園は度々訪れているが、自然造営の景は、季節・時刻・天候・雲の形などのどこかが異なり、同じ景は二つとしてない。
 
 今回の雨上がり直後の雫滴る若葉冷の色鮮やかな奈良の町は、もう二度と見ることができない。今回、このような美しい景色を授けてくださった俳句の神様に感謝して、この吟行記を閉じます。
 
 
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奈良公園が紹介されているホームページ
https://www.360navi.com/29nara/01narapark/01narapark/
 
依水園が紹介されているホームページ
https://www.narakanko.net/flower/isuien.html