11月13日京都市山科区内の毘沙門堂及び聖天堂一帯で行われた吟行に参加した。
山科区は、京都市の東端に位置し、平安時代から京都の東の玄関口、交通の要所として栄えた町であり、西は東山連峰、北は大文字山、如意ケ獄、東は音羽山、牛尾山と三方を山に
囲まれている。南は、伏見区の醍醐地域と接し区内には、平安時代のロマンを感じさせる史跡の数々が残っている。
吟行は、貫野浩先生のご案内でJR山科駅前を午前10時に出発した。目的地の毘沙門堂までは1キロメートル強、探訪しつつ歩いて30分の距離にある。
駅前を出て直ぐ明治23年に完成したという発電、灌漑、舟運などで京都の近代化に寄与した琵琶湖第一疏水の橋に至る。
疏水は、水量豊で流れが速く、両岸は「紅葉且つ散る」の景であった。
ここでは
落葉乗せ疏水の流れ早かりき 澄子
疎水路に沿ひて紅葉の濃かりけり ゆたか
などの句が詠まれた。
第一疏水からは、なだらかな毘沙門坂を上り、途中、赤穂浅野家の縁の瑞光院にお参りをする。瑞光院の墓所中央には、大石良雄が建てた浅野長矩の供養塔と討入り後、切腹した義士四十六名の遺髪塔がある。
毘沙門坂では、「紅葉、落葉、実南天、七竈の実、団栗類の木の実、石蕗の花」など「晩秋と初冬」の景が広がっていた。また天候も、「秋日和とも冬日和とも」取れる状態であった。
この毘沙門通りでは
毘沙門の道と伝へて紅葉濃し 佐知
ゆるやかな坂の毘沙門道小春 律子
山装ふあまたの錦重ね着て ゆたか
などの句が詠まれた。
毘沙門堂は、紅葉の名所として知られ、毘沙門天を本尊とする天台宗の門跡寺院、寺の起りは古く奈良時代に遡る。
急な石段を登って仁王門をくぐると、紅葉に彩られて本殿、宸殿、霊殿などが並んでいる。宸殿は、後西天皇の旧殿を賜ったものです。
内部の障壁画、襖絵は狩野探幽の養子益信の作、見る人の動きによってこれほど大きく動いて見える絵は、他に類を見ない。
この堂の周辺では
山裾の迫りて紅葉濃きみ寺 佐知
掃くもよし掃かぬもよし寺紅葉 良一
桜木の紅葉枝垂れし勅使門 ゆたか