御鳥羽上皇は御生前、多芸多能であらせられ、文武両道にすぐれた仰才能を発揮され、特に和歌では歌聖と仰がれ、新古今集時代の中心であらせられた事は歴史上に明らかです。
今日の境内はなかなかの賑わいで、離宮の水を汲んで帰る人、お子さんを抱いた御家族も二組、最も目を引くのは女性群でそれも和服の年配者も多く、案内に従って客殿に吸い込まれて行く。
聞いてみると毎月第2日曜日はお茶の会があって、事前申込をすれば出席できるとの事であった。
年間では四家元の献茶祭があるそうです。又、本殿の左奥には後水尾上皇御遺愛の茶室、燈心亭があって5名以上ならば見学できるとの事で、早速申し込み案内していただいた。案内に従って入ると、閑静な林泉があ
り、そこに寄棟造り萱葺きの独立した建物で、間口四間、奥行2間半程の勿論平家である。
茶室と水屋の間の2部屋で畳敷の廻縁がついている。丸太を使った例を見ない欄間が美しいと云うがよくわからなかった。
ただ障子の腰板の籐の水引結びや霞棚、格天井に使われている山吹、木賊、つくも、苧がら、葦などの扱い方をはじめ、書院のような飾り棚、吹き寄せ棧の明り障子等、茶室建築の約束ごとにとらわれる事なく、特異な
意匠や構成となっていて、その筋の方ならば興味津々であろうと思いつつ古式ゆかしい寂寞に高貴を感じさせられて時間を忘れて聞き入ったり見入ったりであった。
林泉の遣り水は涸れたまま苔むして相当の年数を経ている事は一目でわかる。木々も大きくなる木は大きく、そうでない木は曲りくねったり枯れて蘖が伸びたりして、自然のままの森を伺わせてくれている。
茶室の2方は竹林で孟宗竹や亀甲竹が春を謳歌して茶室へ明るさを送っている。
再び大前に出る。客殿はほぼ満席になっている。社務所では御神くじや水占がよく出るそうである。
萩一花古色の茶室訪ね出て 窓城
ほぼの時間となりそれぞれの方法で大山崎の句会場へ向う。途中どの道行くも水無瀬川の橋を渡る。川の流れは細く川の床は秋草に覆われてところどころ草の花が見える範囲で続いている。橋から川上を見ると山があって天王山であろう。
古えでは水無瀬山と呼ばれていたらしい。
見渡せば山本かすむみなせ川夕は秋と何思ひけむ
の後鳥羽上皇の御製が遺っている。
一糸の瀬画して千草ある限り 窓城
途中で食事をして句会場に入る。浩様の御盡力によって手頃で立派な会場である。深謝。
句会は順調に進み、最後に佐知先生の御講評も戴き無事句会を終了。佐知先生何かと御指導有難うございました。
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