水無瀬神宮吟行記
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平成21年9月9日  門田窓城
 引鶴恒例の9月吟行は、前日の雨があがって爽やかに晴れた9日、絶好の吟行日和であった。
 
 訪ねて行くルートには、JR京都線の島本駅と山崎駅、阪急京都線の水無瀬駅と大山崎駅からの4通りあって、集合は神宮前10時と定められていた。
 
 私は大阪からの参加者とJR山崎駅からタクシーで、行って一番乗りでした。
 
 石川五右衛門の手形の残る神門を入ると種々の樹木が鬱蒼と茂って、宮は如何にも古雅を極めた鎮もりに凛と聳え、右正面の菊の御門の御本殿に先ずは二礼二拍手一礼。
 
欝蒼の宮の薄々紅葉かな 窓城
 
 敬虔な気持のままゆっく振り返って見ると、大前には由緒の山吹が御神くじをこれ以上は結べない程に結ばれて、背高くゆったりとロープに身を委ねている。
 
 そしてその近くには縁の隠岐より贈られた都忘れの野菊が小さい石に囲われて待っている。
 
 又杜殿を覆うかの樹々の中には銀杏が沢山の実をつけて黄葉しかけてをり、所処の萩もまたほつと花を開き、艶やかな実をつけた椿もあって句の材料を提供してくれている。
 
椿は実古色ゆかしき茶席訪ふ 窓城
 
 神門を入った左側には手水舎があって、そのそばから大小のペットボトルを持った老若男女が列を作っている。その先頭は静かに地中からの1本のパイプからの水を汲んでいて、如何にも粛々とである。
 
 これが有名な離宮の水で環境庁指定の百選の水であって古くからの豊富な地下水である。
 
 汲み終った青年に聞いてみると大阪の饂飩屋で毎日この水を汲みに来ていて、この水で鳴ければと云う。

早紅葉や名水求む人絶えず 良一
 
 水無瀬神宮は御祭神後鳥羽上皇が御造営になった水無離宮の跡で、淀川の右岸にあり、往時は桜、山吹、菊の名所として知られていた。
 
 上皇も京の都から船でしばしば下られて、管弦の催し、歌の会、蹴鞠、狩猟、刀剣鍜作等も行われていたと略記にあります。
 
 更に 奥山のおどろが下もふみわけて道ある世ぞと人に知らせむ

との上皇の御歌にみられるように、早くから鎌倉幕府執権北条氏の専横を憤り、遂に承久三年五月、倒幕の兵を挙げられました。
 
 この時関東に敗れ、その結果後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に、土御門上皇は土佐(後に阿波)に遷御になり、遂に都に御帰遷ならぬまま何れも遠隔の地で崩御になりました。
 
 御鳥羽上皇は崩御の14日前に御手掌を押した御置文を、水無瀬離宮を管していた水無瀬信成親成父子に下し賜い、後生を弔うよう仰せ下されましたので、上皇崩御の後、隠岐へ御出発直前に藤原信実を召して描かしめ
 
られた上皇の御影を拝領して離宮の地に御堂を建ててその御菩提を弔ったのが水無瀬御影堂であります。その後六百年、朝延や武将の尊崇を受けつつ御慰霊の行事が続けられて来ましたが明治6年、神杜に御制定、官幣中
 
杜に列せられ水無瀬宮と称し、同時に土御門、順徳両天皇の御霊も共祀られ、昭和14年、御烏羽天皇700年式年に当り官幣大杜に昇格、神宮号を賜ったのだそうです。
 御鳥羽上皇は御生前、多芸多能であらせられ、文武両道にすぐれた仰才能を発揮され、特に和歌では歌聖と仰がれ、新古今集時代の中心であらせられた事は歴史上に明らかです。
 
 今日の境内はなかなかの賑わいで、離宮の水を汲んで帰る人、お子さんを抱いた御家族も二組、最も目を引くのは女性群でそれも和服の年配者も多く、案内に従って客殿に吸い込まれて行く。
 
 聞いてみると毎月第2日曜日はお茶の会があって、事前申込をすれば出席できるとの事であった。
 
 年間では四家元の献茶祭があるそうです。又、本殿の左奥には後水尾上皇御遺愛の茶室、燈心亭があって5名以上ならば見学できるとの事で、早速申し込み案内していただいた。案内に従って入ると、閑静な林泉があ
 
り、そこに寄棟造り萱葺きの独立した建物で、間口四間、奥行2間半程の勿論平家である。
 
 茶室と水屋の間の2部屋で畳敷の廻縁がついている。丸太を使った例を見ない欄間が美しいと云うがよくわからなかった。
 
 ただ障子の腰板の籐の水引結びや霞棚、格天井に使われている山吹、木賊、つくも、苧がら、葦などの扱い方をはじめ、書院のような飾り棚、吹き寄せ棧の明り障子等、茶室建築の約束ごとにとらわれる事なく、特異な
 
意匠や構成となっていて、その筋の方ならば興味津々であろうと思いつつ古式ゆかしい寂寞に高貴を感じさせられて時間を忘れて聞き入ったり見入ったりであった。
 
 林泉の遣り水は涸れたまま苔むして相当の年数を経ている事は一目でわかる。木々も大きくなる木は大きく、そうでない木は曲りくねったり枯れて蘖が伸びたりして、自然のままの森を伺わせてくれている。
 
 茶室の2方は竹林で孟宗竹や亀甲竹が春を謳歌して茶室へ明るさを送っている。
 
 再び大前に出る。客殿はほぼ満席になっている。社務所では御神くじや水占がよく出るそうである。
 
萩一花古色の茶室訪ね出て 窓城
 
 ほぼの時間となりそれぞれの方法で大山崎の句会場へ向う。途中どの道行くも水無瀬川の橋を渡る。川の流れは細く川の床は秋草に覆われてところどころ草の花が見える範囲で続いている。橋から川上を見ると山があって天王山であろう。
 
 古えでは水無瀬山と呼ばれていたらしい。
 
   見渡せば山本かすむみなせ川夕は秋と何思ひけむ
 
の後鳥羽上皇の御製が遺っている。
 
一糸の瀬画して千草ある限り 窓城
 
 途中で食事をして句会場に入る。浩様の御盡力によって手頃で立派な会場である。深謝。
 
 句会は順調に進み、最後に佐知先生の御講評も戴き無事句会を終了。佐知先生何かと御指導有難うございました。

 
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水無瀬神宮が紹介されているホームページ
https://fishaqua.gozaru.jp/osaka/shimamoto/minase/text.htm