引鶴恒例の吟行は毎月第2日曜日で7月は9日である。吟行地は、京都・花園の花の寺法金剛院で、参加者は26名である。
この法金剛院は平安時代に右大臣清原夏野の山荘をその死後、寺に改め双丘寺と称したのが最初で、その頃から珍花奇花が植えられ諸帝の行幸があったと伝えている。
その後平安時代末、鳥羽天皇の中宮の御願で再興、法金剛院とされ、院が勢力を背景に広大な寺地に大池を囲み、寝殿造の邸宅や伽藍が立ち並び華麗を極めたとあるが、その後荒廃。
中世に至り融通念仏の円覚上人によって再興され、現在は律宗、唐招提寺に属している。山号の五位山は、元は内山と云った背山に仁明天皇が五位の位を授けられ、その後五位山と呼ばれている事に因んでいる。
寺苑の順路に入る。正面右には待賢門院桜の名の枝垂桜がすでに葉を繁らせ、左には沙羅の木が今を盛りの奥ゆかしさの花を咲かせ、芝には落花が風情を保って、掃かでおく思いやりを見せている。
この順路の左右は異る種類の花を配しているのも花の寺としての趣向であろうか。先づ片方は紫陽花が遅い花の薄紫や薄紅の毬を掲げて続き、片方は大鉢の花菖蒲が草臥れた花を垂れている。
大鉢の大方は蓮で、ごく稀には葉蔭に開きかけた花があるが殆んどは繁った葉蔭にこれからと思はれる蕾が背伸びしようとしている。
鉢の表札には生国が記されていて、アメリカ、印度、中国等世界の蓮が集められている。アメリカ産の黄色はスローカム、中国産は紅のぼしの酔姫蓮、舞姫蓮で優雅な花を開くであろう。
順路は池泉廻遊式浄土庭園と云はれる庭に入っている。左手に方丈と思はれる礼堂があって、階段を上り、靴を脱いで廻廊を後ろに回ると西御堂である。
御本尊は丈六の阿弥陀如来が八角九重の蓮華座に坐して上品上生印を結んで居られる。二重光背や台座の彫刻は実に繊細である。
繊細豪華と云えば十一面観世音菩薩像で、仏身は粉溜塗、鳳凰の盛上彩色文、截金文とか案内されているが、とにかく細やかな金属工芸品で荘厳である。