伏見稲荷大社吟行記
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平成21年6月14日  野田ゆたか
 引鶴の6月吟行会は、入梅後間のない14日伏見稲荷大社、稲荷山一帯で開催された。

 当日は、雨音で目覚め雨天の吟行となるのかと思いつつ、稲荷山の天気予報を確認すると、午前10時頃から晴と出ていて安心して出支度を調え稲荷大社へと出発した。

 下車した京阪電鉄伏見稲荷駅は、朱色の柱など稲荷色で造られ、駅前から大社まで伏見人形、キツネの煎餅などの土産物店や稲荷寿司の飲食店が軒を並べていて大社の門前街として賑わっていた。
 
 これら店舗の一部が途切れる琵琶湖疎水路の橋上に立ち稲荷山を仰ぐと薄日が射し万緑の梅雨曇状態でさほど暑くない吟行日和になるものと思われた。

万緑にとっぷり浸かり稲荷山 ゆたか

 集合地の楼門前に到着すると既に本殿にお参りを済ませた人など、早くから来ておられる方もいらっしゃり、雑談の内に参加者が揃うのを待った。

 吟行は、午前10時にスタートをし、楼門から本殿、神田、千本鳥居、奥社奉拝所と巡り要所要所において主宰から句材の捉え方などの指導を受けつつ進行した。
 
 奥社奉拝所以後は、参加者個々による最高峰標高233メートルの一の峯などの峯々を巡るお山巡りなど脚力に応じて行けるとこまで行くこととなった。

 伏見稲荷大社は、稲荷神を祀る全国約四万社の稲荷神社の総本宮とされる。東山三十六峰の最南端に位置する霊峰の稲荷山の麓に本殿がある。
 
 大社は、稲荷山全体を神域とし、旧社格は官幣大社で稲荷神が農業の神であることから五穀豊穰、商売繁盛、交通安全といったご利益があると言うことで信者を集めている。

 集合地の楼門は、朱が鮮やかで天正17年豊臣秀吉の造営と言われ、秀吉が母大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば1万石奉加すると記した、母の命乞いの願文が今に残っていると言う。

楼門の映ゆる青葉の風清か ゆたか

 ご本殿は、稲荷造と称され社殿建築としては大型に属し装飾、特に懸魚の金覆輪や垂木鼻の飾金具、それと前拝に付けられた蟇股等の意匠に安土桃山時代の力強さと優美な趣をただよわしている。
 
 現在の建物は、応仁の乱で焼失した後の明応8年に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。

登磴の木沓の音や夏木立 ゆたか

 神田の作付面積は約百坪で御田植祭は、例年6月10日に行われ、神田で神事が行われた後、平安時代の盛装をした4人の舞姫による御田舞や講中の早乙女らによる田植えが行われたと言う。

 田は植えられて4日目であるとから苗の根付きつつある様子が伺え、田水が澄み周りの景や空を映していた。また神田の下手に池があり花菖蒲が咲き乱れ、池堤には十薬など夏草が茂っていた。

 ここで主宰から伊勢の御田植や住吉の御田植など各地の御田植との比較や御田植を詠むときのこれらの見方などの話があって、主宰の指導を実践すべく、それぞれが暫くこの植田と対峙した。

流れ雲浮かべて神の植田かな ゆたか
 
 稲荷山には、鳥居を信者が奉納する習わしが江戸時代に始まり、現在約1万基の鳥居があると言われ、特に千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられ名所となっている。
 
 稲荷の鳥居は、社殿と同じく稲荷塗で生命、大地、生産の力を持つ稲荷大神の御霊の働きをすると言う、朱(あけ)をもって彩色されている。
 
 千本鳥居の五月闇の下の通路は、仄暗く感じられるものの、青葉風、薫風が涼しく通り抜け、時折鴬、時鳥、山雀などの涼しげな声や辺りをはばからぬ鴉の声などが聞こえていた。
 
五月闇鳥居の闇は別にあり ゆたか

 千本鳥居を登り切ると命婦谷に出る。谷に奥の院の名で知られる奥社奉拝所がある。
 
 この奥社奉拝所は、お山の一の峯、二の峯、間の峯及び三の峯を背にして建ち峯々の各社神蹟の遙拝所として存在し、脚力の弱い人や忙しい人の参拝はここまでとなっている。

万緑に埋もれ奥宮奉拝所 ゆたか

 奉拝所は、万緑の中にあり、清々しい青葉光が満ち、白虎絵馬と称する狐の面形の絵馬が絵馬懸けに吊されていた。
 
 この絵馬は、表面に狐の目鼻口など顔形を書入れ裏面にそれぞれの願いを書くようになっている。祈願は、商売繁昌、家内安全、良縁、病気平癒や受験合格などが多いようである。

白狐絵馬上手に描けて風薫る ゆたか

 奉拝所の近くに、一対の石灯篭があり、灯篭の前で願い事の成就可否を念じて灯篭の頭部、空輪を持ち上げ、そのときに感じる重さが、軽く感じれば願い事が叶と言う重軽石があった。
 
 この石は、砲丸投げの砲丸程度の重さで重いものであったが、やせ我慢を通し軽い軽いと言って石を元の位置に戻した。

稲荷山嶺々を拝して汗涼し ゆたか

 又ここには、茶店や公衆トイレなどがあり小休止することにして、茶店で冷し飴を頂くなどした。
 
 その後、ここで一先ず解散となり、脚力に応じてそれぞれがお山巡りの順路の熊鷹社新池や三つ辻を経て三徳社、四つ辻を経て清滝或いは峯々の巡拝にと出発をした。

 これらお山巡りの途中には、白狐大神、白龍大神などと神名が記されたお塚と呼ばる石碑があり、このようなお塚がお山に一万基以上あると言われている。
 
 参拝者の中には、これら石碑の前にひざまづき般若心経や稲荷心経などを唱えている人もいるとのことであった。
 
 大々的に神仏分離が行われる前の信仰が今でも保たれているのは、ここ稲荷山だけではないかと思われる。

万緑や万の御霊の万の塚 ゆたか

 熊鷹社の新池は、池に突き出た石積みに拝所が設けられ、朱の玉垣の向こうに峯影を映していて、谺ケ池の別称がある。
 
 ここでは、行方不明の人の居場所を探している人が、池に向かって柏手を打つと谺が返ってきて、谺の方向に居場所の手かがりがあると言う言い伝えがある。

柏手のこだま返して青葉風 ゆたか

 私の脚力もここまでで、流れが東福寺、泉湧寺へ続くと言う清滝、京都市北部以北が手に取るように見えると言う荒神峯などは又の機会に訪ねることにして下山して句会場の参集殿へと向かった。
 
 参集殿は、3階建の200名が宿泊できる施設で、1階にホール、食堂等がある。参加者の多くは、この食堂で昼食を取った後、句会場のホールに入った。

 句会は、午後1時に出句が締切られ、清記、互選と進み良一さん、舟津さんによる披講が行われた。
 
 また主宰の披講後、用いた季題の適否、作者が気づいていない季題重なりの指導などがあり、学ぶことが多く参加して有意義な吟行であった。皆様ありがとうございました。

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伏見稲荷大社が紹介されているホームページ
https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/howto/fushimiinari-guide