永観堂吟行記
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平成17年10月9日  門田窓城
 引鶴の10月吟行は9日、前日までの秋雨も見事に上り、上天気である。代表始め皆々様の精進の賜物と感謝感激。京都の古刹、永観堂禅林寺へ向う。
 
  「おく山の岩がき紅葉散りぬべし照る日の光見る時なくて」
 
 この和歌は平安時代初期に創建された。弘法大師の弟子真紹僧都の徳を慕って、自分の別苑を寄進した藤原関雄の詠んだ歌で、今日、紅葉の永観堂と呼ばれる所以となった。
 
 岩垣の紅葉と云う楓があると聞いて来たけれども、今日はまだ早いかも。この古刹は何んと云っても見返りの阿弥陀様である。
 2月の厳寒、その日も永観は阿弥陀堂で念仏行道をしていた。
 
 夜を徹した行もそろそろ終りだが、夜明けにはまだ少し間がある。凍てついた堂内では、時折蝋燭のほかげが永観の姿を映し出していた。ふと何かの気配。思はず息をのむ。
 
 壇から降りて前を歩かれているのは御本尊の阿弥陀如来。すっと首を左にひねって永観を見られた。
     「永観遅し」 と掛けられた言葉。
それが語り継がれて、多くの人の信仰を集めたと永観堂物語にあります。
 
 総門を入って、しばらく行くと歴史を感じさせる中門で、見ると門を額縁にして時季になれば紅葉が美しい楓が絵になる構図である。
 
 門を入って右に金木犀が香を放って存在を誇っており、更に右に行くと放生池であるが直進して七堂を拝観する。
 
 大玄関で靴を脱いで廊下伝いに行くと、すぐに内側からの唐門で、勅使門となっていて厳めしい。砂壇の波は乱れなく白砂が輝やいている。先ずは方丈の扁額の揚っている釈迦堂で本格的な書院造である。
 
 奥正面は釈迦如来、向って右は文殊菩薩、左は普賢菩薩の釈迦三尊像が祀られ、その周囲には5つの間があってそれぞれ特長のある華麗な障屏画で飾られ、中でも虎の間の竹虎図襖は圧巻。次は御影堂である。
 
 廊下を来ると気付き難いが前庭には立派な楓が両側にあって、その時季には美しい紅葉であろう事が容易に想像できる。
 
 御影堂には宗祖法然上人像が金の厨子の中央に、右側には善導大師、左側には派祖と云はれる証空上人が祀られ、復弥壇の四天王が護っている。
 
 御影堂を出て、廊の突き当りに水琴窟があり、水一杓を注ぐと澄み切った音色で心まで洗われる感じであった。
 
 廊を左すると開山堂であるが右へ。立派な位牌が隙間なく祀つられた位牌堂を片手拝みして本堂、永観堂の最古の建造物(慶長年間)と云われる阿弥陀堂に入る。
 
 仰ぐ格天井は百花、柱には彩色絵の跡が見られる。正面厨子に祀られているのは御本尊の見返りの阿弥陀様である。厨子の正面は当然開扉されているが左手も開かれている。
 
 像は木像で高さは83糎、右足を少し踏み出し、お顔は90度左に向き、少し俯向いておられる。お顔に誘われて右に廻って真近かに拝観する。
 視線を追ってみると、左に向けたお顔から更に後へ送っておられる。正に永観遅しである。それにしても阿弥陀様の左手を堂の外まで開放されている心遺ひには感じ入つた次第。
 
 廊を戻って水琴窟を行き過ぎると臥竜廊である。廊の屋根が左右、上下に柔らかく曲って、正に龍が眠っている時の姿である。龍は想像上の動物であるが、確かにそうかもと思はせるから不思議である。
 
 釘を一本も使われていない。500年を耐えて、そのセンス、技術に脱帽である。それはそうと、この廊の山手は断崖で岩肌の「そろそろ紅葉しょうか」の楓が美しい。云わずと知れた岩垣紅葉で、本文頭初の藤原関雄の和歌に因んだ命名である。
 
 臥竜廊が尽きる所が開山堂で、この古刹を開いた弘法大師の弟子真紹僧都が祀られている。堂の周囲は蔀戸で如何にも名刹の風情に適っている。
 
 右に廻って見上げると、東山三十六峰の一つ若王寺山の断崖に張りついた多宝塔が木の間隠れに姿を見せている。頂部は九輸に水煙で多宝塔としては珍しい。
 
 釈迦如来と多宝如来が祀られ、年1度開扉されて、写経と100万名号が納められるのだと云う。
 
 多宝塔へは大玄関を上らず、地上を行って御影堂を左へ行くのが参道で、開山堂あたりから苔むした石の階段が方向を変えつつ続く。この階段も岩垣紅葉もその時季にもう一度訪ねたい場所である。
 
 一応のお参りをすませ、大玄関から寺苑に出ると永観律師が貧しい病人の為にその実を施療に使ったと云う悲田梅があり、その奥には葉の先が3つに分れている珍しい三鈷の松がある。三鈷は、知慧、慈悲、真心の3つを表はしていると云う。この松の葉を持っていると3つの福が授かるとの事。
 
 この寺苑の最も奥は墓地であるが、その手前に3尺ほどの巾の流れがあって、すぐの川上は若王子山の断崖に掛けた滝で、流から山がかかった所に句碑が並んでいる。獅子門句碑の表示がある。
 
 獅子門とは芭蕉の弟子、各務支考の流派の事であるが、句碑は、芭蕉の古池の句を始めとして31基を数え、流れに対している様に見受けられる。流れは寺苑の広さに見合った広い放生池の水源となっている。
 
 極楽橋を渡って放生池の正面へ廻る。広い放生池に立派な弁天島、鳥居に社殿、弁財天が祀られていて、橋の手前から拝む。池には錦鯉が悠々と元気よく泳ぎ、よく太った鴨が3夫婦、水面に陸にゆったりと休み、世の平穏を語っている。
 
 晶子歌碑の角を曲って、木犀の香の中門へ、総門前でタクシーに分乗して俳句会場の光明寺へ向う。三々五々昼食の上集合、午後2時締切り、いつもの通り代表を中心になごやかな句会となった。
 
 
 
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永観堂が紹介されているホームページ https://kyototravel.info/eikandouhighlight