比叡山坂本一帯吟行記
平成21年2月8日 長谷山順江
引鶴恒例の2月吟行は、8日比叡山坂本の旧竹林院で行われました。当地は吟行地として、一咋年11月11日に晩秋の色濃い時期にもありましたので、凡そ1年半ぶりの訪問となりました。
前回は珍しさも手伝って途中にあります、公人屋敷や生源寺での寄り道が長かった事もあり、今回は成るべく旧竹林院での句作に時間がとれる様にと計画をたてました。
吟行にはつきもののお天気を週間予報を見ながら当日を迎えましたが、幸いにも好天に恵まれ、この時期にしては雪も少なく、
大阪方面から来られた方は比叡山の冠雪や町中での雪も期待されていたものと思いますが、少し物足りなかったのではと思います。
高島からの参加者は浩先生と芳子さんと私の3名のみでしたので駅には浩先生を残し、私と芳子さんは車で来られる方のために先に旧竹林院で待つことにしました。
その旧竹林院へは間もなく泉大津から恭生先生以下の4名の方が到着、電車で来られる佐知、窓城両先生一行が到着するまで少しの時間がありましたので、近辺を散策することにしました。
雪は無かったものの坂本の街はまだまだ寒く感じられ、近くには比叡山中学、高等学校、日吉大杜、穴太積の石垣、律院、冬芽を持った木々等見るべきものの多いのには改めて知りました。
そうこうして居る間に皆さんもほつほつと合流し早春の坂本での句を詠まれました。
鳶鳴ける比叡颪と言ふ余寒 恭生
梅ヶ香の誘ふ律院巡りけり 窓城
弁財天斎く池心の水温む 佐知
比叡山の山麓にあるこの坂本は、門前町として古来から大いに栄えて来た歴史を今に伝える数多くの建物や史跡が残されていて、一帯は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
中でも里坊は歴史の町、坂本ならではの町並みが形成されています。旧竹林院は里坊の代表的な建物のひとつです。
里坊とは「延暦寺」の僧侶が高齢となった時に山麓に賜ったもので、坂本には数多くの里坊が今に残り特色の有る町並みを作っています。
今で言うと○○養老院とか、カタカナのついた養老施設を言うのですが、里坊とは何とも美しい響きではありませんか。
また、この坂本の石垣は「穴太衆積」と呼ばれ、坂本の大字「穴太」の一帯に古来より居住し山門の土木営繕等の御用を勤めていた穴太衆の積んだ石垣のことである。
その石積の特微は加工しない自然のままの石積みの面を構成している点にあります。
春浅し暦史秘めたる里坊に 静代
石積の里坊の風どこか春 芳子
苔むして穴太衆積春目影 薙子
皆さんは三々五々、お弁当を持参の人、食堂に入る人、それぞれお昼を済ませて旧竹林院の方へ参集してきました。
旧竹林院は、先に述べました里坊の一つで邸内には主屋の南西に約3300平方メートルの庭園が広がり、大正年間に建てられた2棟の茶室と四阿があります。
八王子を借景にした庭園は地形を巧みに利用しながら滝と築山を配しています。
大宮川の清流が園内を巡り手入れの行き屈いた木々や苔が四季折々しっとりとした風情をかもし出しています。
折しも院内には盆梅展が開かれており、種々の銘のついた盆梅が所狭しと並べられていました。日曜日と言う事もあり鑑賞客もひっきりなしと言う状況でした。
また、その奥には大正雛が飾られ目を引きつけられましたし、盆梅の上には大津絵が掛けられてあり、皆さんの目を十分楽しませてくれる句材があったものと思います。
句会場は前回と同じく茶室で行われ、総勢18名で丁度上手く会場の設置が出来ましたので安堵しました。
その茶室の床の間には白の盆梅が清楚に、なかなかの風情でした。そして電気ストーブ1台が、運び込まれました。
らにせ大正時代の茶室ですので、建てつけが悪くなっており、佐知先生はじめ、句会出席の皆様には寒い思いをさせて申し訳なく思っています。旧竹林院の庭、句会場の茶室、盆梅での句は、
茶室まで早春の庭ゆつくりと 順江
院を統ぶ二棟の茶室梅の花 徹
盆梅に大津絵の鬼やさしかり 浩
などでいつもの手順で清記、選句、互選句の披講の後、佐知先生の句評をいただき無事句会を終了しました。
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旧竹林院が紹介されているホームページ