堺に生れた与謝野晶子は生涯3万首にも及ぶ和歌を残した情熱の歌人である。彼女が心のままに詠んだ歌は故郷にゆかりのものが数多く、その熱き思いに共感する多くの人の尽力で堺市内の冬所に歌碑が建てられています。
冬日濃き生家の跡の晶子の碑 不二子
晶子が生れ育った菓子商の駿河屋は当時では指折りの商家であったが今はその名残りもなく歩道脇に碑が立つのみである。歌碑に刻まれているのは
海こひし潮の遠鳴りかぞえつゝ少女となりし父母の家
で現在陸続きとなったこの地が当時は海辺であったとか。巾.の広い歌碑の上の白い花が郷愁を誘う。
著ぶくれて海恋の歌碑しばし佇つ 三津子
次いで訪れたのは堺の生んだ茶聖千利休の生家跡である。茶人として余りにも有名な利休の出生地が堺であると云う事を知る人は少いかも知れない。
千利休は大永2年堺の豪商魚屋の長男として生れる。その住いがあったのは現在の宿院町で旧市街地を南北に貫く大道筋から一本西に入った裏通りのビルの間の柵に囲まれた空地であり石碑が無ければ見過ごしそうな場所で、時の流れに取り残されたかにぽっかりとあいた空間である。
ビル狭間利休の跡地冬日陰 雍子
現在は利休が茶湯に常用していたとされる椿の井戸がひっそりと佇む静寂に包まれた屋敷跡でした。
寒々と利休生家の井戸の寂 寿美
南国を思わせる並木道フェニックス通を見ながら開口神社へ歩を進める。開口神杜は明治の廃佛毀釈までは行基が開いたと伝わる大念佛寺が境内にあった。
寒晴や堺の町家虫籠窓 公枝
旧市街では唯一の式内杜であって、大寺さんの愛称で親しまれる港の守り神で、社名は海に向って口を開くの意味で潮の干満に通ずる事から安産の神としても信仰を集めている。
初詣大寺さんの今昔 三津子
そう云えば山之口商店街から入ると珍しい子連れの狛犬さんが迎えてくれます。
初詣子連れ狛犬迎へくれ 舟津
今日の境内は本殿の正面に注連を張って区割され、巫女さんが木々に結ばれた御みくじを外しているので伺うと左義長の準備との事でした。
斎竹を立ててとんど場設へる 寿美
社殿には古来勅願寺だったこともあり寄進された宝物が多く残され、摂杜末杜も22杜が軒を連らねている。
境内の摂社末社に風冴ゆる 寿美
本殿を廻ると杜務所があり、その二階に信者会館があってその一室が今日の句会場である。和やかに句会が始まってスムースに進行し、互選披講と何時もの通り主宰を中心に和気藹々の内に初吟行句会を終了する事が出来ました。
ものの始まりは何でも堺からと云われ、長い歴史を積み重ね、匠の技あり、異国文化と堺が生んだ偉人たちと、まだまだ知りたい街で、再三訪ねたいと望みつ、帰路に着きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
堺刃物ミュージアムが紹介されているホームページ