適塾・水上バス吟行記
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平成18年10月 6日  門田窓城
 恒例の吟行日は雲が残ってはいるが、秋晴の吟行日和となった。
 早い目に出て何時もの地下鉄を淀屋橋で降りる。14A階段を上ると、そのまま土佐堀川の淀屋橋港乗船口であり、桟橋である。

 待合の椅子が並べられて居て、出航にはまだ間があり、先ずは水上を見廻す。川向うの正面には大阪市役所、中央公会堂等の上層部や屋根が見え、左手間近かに淀屋橋が満潮らしい水面へ橋の下桁を近付けている。

 出航時刻に主宰、諸先輩を合めて26名が勢揃いして乗り込む、結構一般の乗客もあって、ほぼ満席である。
 
豪商に固む橋の名銀杏は実 佐知
 
 アナウンスがあって出航。すぐに淀屋橋の手前でUターン、この舟は見事な性能を持ち、進行を止めて、舟の中心を動かさずに180度方向転換する。

 最初のコースは土佐堀川を遡る。栴檀木橋を抜け、難波橋をくぐる。ふと天神祭の船渡御を思い出す。

 左手は薔薇園で間もなく天神橋が見えて来て、剣先公園となり、その剣先を廻って再びの天神橋をくぐり抜けると堂島川となるが、難波橋の手前でまた、Uターンし大川を遡る。

 天満橋を抜け、川崎橋を抜けると桜宮公園である。岸は桜の、薄紅葉で、通り抜けの造幣局の建物が桜の上に見えたり、見えなかったり、水の上からの風情もなかなかで、桜の頃にもう一度、舟から観賞したいと思った。
 
橋の名の皆美しく小鳥来る 浩
  
水上バス揺れず秋風切り進む 木賊
  
橋毎に思ひ出ありて水の秋 窓城
 
 水上バスは桜宮橋を通り抜け、OAP港へ着岸するが、その上流は源八橋、毛馬の閘門へと通ずる。

 船は小休止の後、Uターン、再び桜宮橋である。左手には過日、吟行会を催した大閤園、藤田美術館、大阪市長公館等があり懐しく眺められた。
 
橋多き水の浪花の秋惜む 不二子
  
大川の周遊吟行天高し 道子
  
橋幾つ潜るや淀の水澄みて 久美子
 
 船は大川から寝屋川に入り、大阪域港へ向う。正面にクリスタルタワーが美しい姿を見せ、大阪ビジネスパークのビル群が林立している。大阪城港で一般乗客の殆んどが下船された。
 
 
 Uターンして船上よりの大阪城天守閣を観賞する。船の進行に従って固唾を呑んで待つ。何せ見る事が出来るのは瞬時、3秒か5秒か。喚声が上る。新鴫野橋挟である。待ち構えて撮る。
 
天高し航路にとらふ大阪城 とも江
  
川面より見る天高しビル高し 二美
  
城よりもビル高くなる秋の空 公枝
 
 順調に水の都、大阪を波の上より遊覧、吟行し、約1時間の船の旅。
 乗船した桟橋から上がると淀屋橋で、午後の御堂筋パレードの準備や見物人が早くもわいわいがやがやと活気ずいてきている。

 誰かから提案があって、近くの適塾へ行く事となり全員で歩く。適度の気温、爽やかさで少し遠廻りしたが、日曜日の事とて道路は閑散、適度のウォーキングで到着した。
 
 適塾は大阪が誇りとする文化遺産の一つであり、創始者緒方洪庵とその門下に集った若者達は、日本の近代化の大きな流れを作った事は御承知の通りである。
 
 洪庵は優れた蘭学者、医学者であったのみならず、同時に見事な教育者であった。遺されている「姓名録」等によれば適塾の入門者は、日本全国から集って千人にも達したとあります。
 
 適塾で学んだ人の裾野は広く、吉田松陰の松下村塾に優るとも劣らない成果であると思う。私達浪花に縁を結んだ者としては、大いに己を鼓舞し、誇りとすべしと思うのは私だけではあるまい。
 
適塾の露けきものに刀傷 舟津
  
展示さる薬研乳鉢館さやか 久美子
  
爽籟や園に端座の洪庵像 佐知
 
 最後に洪庵抄訳「扶氏医戒の略」第一条を紹介しておきます。
 
   『人の為に生活して、己の為に生活せざるを医業の本体とす。』

 塾の隅々まで見学し、数多くの遺書、遺稿を拝見して、心新たに句会場へ。
 
 多数の御参加厚く御礼申上げます。
 
 
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適塾が紹介されているホームページ
https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/about/tekijuku
 
水上バスが紹介されているホームページ
https://suijo-bus.osaka/guide/aqualiner/