義士祭(吉祥寺)吟行記
平成20年12月14日 門田窓城
そうこうしている間に時刻となり義士祭式典が始まる。先づは吟詠、朗々と境内に響く。そのうち猊下が10人ほどの僧侶を従えてお出ましとなり義士の墓前に於ける義士祭式典の法要が始まる。
御経に続いて大阪府知事、大阪市長、義士会長、町内会長他諸氏の追悼の辞が静かに力強く続き、順に焼香。更に遺族の方々へと続く。義士会の現在は全国的組織となっているそうである。
股々の読経に晴るる義士祭 佐知
吟詠の響く師走の義士の寺 恭生
一臓なき空の下なる義士祭 舟津
墓前の式典が終ると猊下に従う僧一団の寺内諸堂諸像への参拝である。子安地蔵堂から観音様、そして毘沙門天像の前では般若心経が唱えられ、私も思わず合唱していた。
次いで四七士像で短いお経の後黙祷されていた。この後以前は山伏による法螺貝の響くなか、大護魔祈祷もあったが諸般の事情で今は行われていないとの事。
今日は何が奉納されるかはっきりしなかったが、琵琶、太鼓、演舞、居合、剣道、文楽等のうち何れかである。特筆すべきは子等の火消装束による凛しい義士行列であろう。
墓前に集合して参拝、勝関を挙げた後、バスで出発すると云う。例年ならば府庁、市庁へ、今年は休日に当るので大阪城を訪問するとのこと。出発は1時半頃と聞いた。
門前の打入りそばを是非ともと云うので接待のテントで頂いたが、やはり大阪で商売気が充分に盛られていた。
吉祥寺義士祭を去るに当って、大石内蔵助の一首
「あら楽し思ひは毒るる身は捨つる浮世の月に繋る雲なし」
討入後の泉岳寺で詠んだ歌である。
忘年句会場は道頓の堀治兵衛で12時開会となっている。頃合の時刻となってタクシーで出発する。御堂筋の銀杏黄葉も大方散って淋しくなっているし、食いだおれ太郎も居ない。これも時代の推移流れなのであろう。
12時、27名による忘年会開会である。主宰の力強い挨拶のあと乾盃。
主宰の御好意による飲み放題の賑やかで楽しい忘年会となった。
義士の墓詣でてよりの年忘 佐知
毒舌も美辞も受け止め年忘 ゆたか
冬ぬくしおのおの方よゆるりあれ 雄次郎
句会は2時締切、いつもの手順で進行し、最後は先生の優しい講評もあって、閉会となった。遠方からの参加者もあって盛会となりました。厚く御礼申し上げます。
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吉祥寺が紹介されているホームページ
引鶴の12月吟行は14日で、忘年句会が予定であったが、赤穂浪士の討入日に当る事から、大阪の義士祭で知られている天王寺の吉祥寺へ吟行の後、道頓堀の料亭治兵衛で句会と忘年会を行う事が決定されていた。
当日朝起床時は、予報の通りの小雨で早々に通過する事を期待して出発。地下鉄夕陽ケ丘駅@を出る。雨は止み絶好の吟行日和となっている。
先般の大阪市俳句会場向い側を通り過ぎるとすぐ例の義士の法被模様の塀が目に入る。山門の扉には二つ巴と鷹羽違いの紋の幔幕が張られ、義士祭の立看板である。
寺縁起によるとこの山門は、元は赤穂藩蔵屋敷の門であったが事件後に移築した。しかし戦災で焼失し現在の門はそれの近代化したものとの事である。
この寺は万松山吉祥寺と称し、曹洞宗の禅寺で、御本尊はお釈迦様、創建は寛永7年。
その後焼失再建があり、先の戦禍昭和20年3月14日の大空襲で堂宇を始め寺宝に至るまで全て灰燼となり、その後の都市区画整理等により縮少され現在に至るとある。
元禄の当時の住職縦鎌和尚が赤穂の出身で特に長矩候の帰依を受け、浅野家の菩堤寺として、参勤交代の折には必ず立寄り休息をとられる等、寺の護持に尽されたと云う。
山門に続く塀の内外にはテントが貼られ、多くの方々の義士祭準備が進められている。時刻が早いせいか境内の参会者はまばらでゆっくりと巡る。
冬帝の日の遍きに義士の墓 佐知
義士祭訪ふは浪速の吉祥寺 窓城
吉祥寺訪ふ極月の十四日 寿美
先ずは山門を入って右奥に義士四七士の墓があって、中央の五輪の塔が長矩候の墓で自刃の日の元禄14年3月14日が刻んであるとの事。
その右側に大石内蔵助、左側に大石主税の墓、周囲は吉田忠左衛門を始めとする四十四士の戒名と行年を刻んだ玉垣が取り囲み、遺髪、遺爪、鎖かたびらが安置されていると寺縁起にある。
またこれらは寺坂吉右衛門が義士切腹後に収納し建碑したものと説明されている。が今日は式典のお供え物や慢幕、塔婆等で細かく拝見する事はできなかった。
更に墓前にはテントが張られて祭壇や来賓席も設けられ準備が整えられている。さほど広くない境内に本堂、佛堂他の諸堂があるなかで、山門左側には子安地蔵堂納骨堂。
そして観音像が晴れ輝いてきた冬空に高く聲えて在し、例年行なわれる女性による太鼓の演奏ほかの行われる狭庭を持ち、隣には毘沙門天像が真白の像である。
今日この場に来ての驚きは、平成14年に献納された赤穂四七義士の石像で、吉良邸打入り時の刃槍をそれぞれ冬日に光らせてこの時こその気魄を如実に顕はした全身像が五段に並べられている。
内蔵助は陣太鼓を構え、堀部弥兵衛の老いの闘志、安兵衛の鋭どさ等細かく観ていると際限がない。それにしても石工の芸術性を改めて見直した。
冬晴や四十七士の太刀光る 恭生
冬日照る戦ふ義士像四十七 窓城
抜刀に冬日輝く義士の像 同