大 阪 城 吟 行 記
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平成20年3月9日  門田窓城
 引鶴恒例の3月吟行は、早くから9日、大阪城と決定されていて、地球温暖化による気象変化を心配していたが、寒さが続いたあと、颯っと春を呼び、コートも要らない位の暖かい好天となった。
 
 大阪城の歴史の概略を記しておきます。戦国時代には石山本願寺とその寺内町であった地に、豊臣秀吉が1583年築城を開始、1年半を要した本丸は巧妙な防衛機能が施され、外観五層の天守は、瓦等に金箔をふんだんに用いた華美なものであった。
 
 築城の途中、秀吉を訪問した大友宗麟は、城のあまりの見事さに感嘆して、三国無双と称賛したと云う。
 
 徳川幕府の成立後の大阪冬の陣につづく1615年の夏の陣で落城焼失、豊臣氏は減亡した。その後、将軍秀忠によって1629年再建された。
 
 その時の城郭の広さは豊臣大阪城の約4分の1となり、石垣や濠は破却されて数メートの盛土がなされ、地中に埋没した。
 
 天守閣は大きさも高さも豊臣氏の天守を超えるもので、豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を全国に誇示したものと云われる。
 
 その後落雷などで焼失と復興を繰返して、昭和9年に現在の天守閣に再建された。その時の市民の募金は当時の150萬円であったそうです。
 
 現在の天守閣は徳川時代のものと大きさ高さはほぼ同じであるが、外観は、大阪夏の陣図屏風を基に新たに設計され、豊臣と徳川の折衷の趣きである。
 
 即ち初層から四層までは徳川時代風の白漆喰壁で、五層目は豊臣時代風の黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描いている。
 
 改修では天守の象徴である鯱の金箔を三度押しする等して、住年の黄金の輝きを取り戻したものである。吟行当日私は、何人かと約束の大阪城公園駅へ10時には到着したが、駅も駅からの道も、何んと何んとの人人である。
 
 約10メートル毎に立って合掌し、お礼らしきを述べているので聞いてみると、生長の家の研修会か何かが大阪城ホールであるとの事であった。駅前の階段を降りると、ロードトレインの駅があって梅林の近く青屋門まで100円と云う。
 
 坊っちゃん列車に似た列車で、間もなく満員となり発車。合図はSLの低いあの懐しい声である。ゆったりと落ちついた気分を増やしてくれる。
 
梅日和ロードトレイン乗るも興 佐知
梅林ヘロードトレイン満員に 浩
トレインの汽笛のどかに園巡る 不二子
 
 トレインを降りて、青屋門を抜けるとすぐの左に大阪城梅林の入口があって、もう路一杯の老若男女の梅見客である。
 
 入口を入って少し行った右側に、この梅園を象徴する対の紅白梅の上に天守閣の美しい景があるが、今日は紅梅が眞盛りを少し過ぎてはいたが白梅の上の天守閣は輝いて満足。
 
今日の城梅見日和といふべかり 佐知
梅の香に誘はれ風に躓きぬ 岸野幸子
愛でる歩の城を要の梅日和 宮子
 
 又少し奥の枝垂梅は咲き初めていて兎に角壮麗であった。辛棒強く待って、梅と天守閣の写眞を撮ることができた。親切な紳士が人の流れを止めてくれたのである。
 
小城てふ梅を仰げば天守閣 窓城
梅の花透かして仰ぐ天守閣 梅田澄子
梅林の香にゐて天守仰ぎけり 律子
 
 濠の上の柵や石、庭石と云う石は余すなく腰掛となっている。茶屋は溢れ、盆梅展も容易には入れず、植木屋の梅の木も苗も鉢も肩の上から覗いてさよならである。
 
 しかし時間はかかったが梅の香りと梅の上の城の勇姿には満足させて戴いた。
 
其所此所と眺める肩の枝垂梅 圭子
梅に酔ひ人に酔ひたる小半日 舟津
梅が香に誘はれ風に蹟きぬ 岸野幸子
 人いきれを逃れる様に私は梅林を出て春水の濠端から極楽橋を渡る。春の日を返す鏡の水面に残り鴨が散見される。知らぬ間に一人である。
 
暫くは残る鴨見て橋半ば 佐知
天守の威映りし濠の水温む 不二子
濠端にものの芽息吹くそここにに 良一

 淀君秀頼自刃の碑の前へ来た時、素通りする人が多い中で、中年の男性と娘と思われる二人が献花して暫く合掌している。
 
 はっとして片手拝みに通り過ぎたが、大阪人の太閤に対する暖かい心をみた心地よい一事ではありました。
 
自刃の地木々の暗さにある余寒 不二子
淀君の自刃の跡や梅ほのか 静代
 
 今少し進むと残念石の標示があって、徳川の城再建時に、西国大名が幕府への忠誠心の証として運び込んだ建設用の石の溜場である。思い思いの大きさ形でよく見ると大名の家紋が刻んである。
 
 捨てられたものであろうけれども、自然のままに今に気儘な姿で裾を埋めて残っているのが面白く木の芽風と春日燦である。
 
残念石関せず城の地虫出づ 木賊
ところ得ぬ残念石や下萌ゆる 窓城
 
 櫓の遺構の問を抜けると天守閣の真下へ出る。天守閣広場で、右手の低い階段を上ると濠の向うに西の丸公園があって、桜の名所であり、迎賓舘も俯瞰の視野にある。その先一帯は大阪の官庁やビジネスのビルが立ち並んでいる。こうして眺めるとビル街もなかなかの美観である。
 
淀殿の住みし跡とや草萌ゆる 泉也
眺望の鴫野片町薄霞 雄次郎
霞立つ二た上望む天守より 美和子
 
 中央辺りへ来ると少しは疎らとなったが人人人で、大道芸の喚声が上っている。又植込の前に銀に光るタイムカプセルがあって表示されている。
 
うららかや大道芸に湧く拍手 とも江
楽流し風船飛ばす城の内 岸野幸子
 
 日本万国博覧会に於ける松下電器と毎日新聞の企画によるもので、5000年後に開封されることを託して埋設されている。
 
 大阪城を訪れたならば天守閣へ上って太閤気取りの眺望を楽しむのが通例であるが、私は句会場の時間の都合もあって天守閣を素通りし、元師団司令部を横目に、蛸石から銀明水、桜門、空濠等を巡って戻り、句会場の豊城園へ入りました。
 
煉瓦古る元司令部の館余寒 泉也
麗かや銀明水に来る雀 ゆたか
空濠を埋めて草の芳しき 窓城
 
 暖かさと好天の為、大賑いで、よくぞ事前に予約しておいたものだと安堵したものの句会場の隣の部屋まで昼食の団体客が入れ交り立ち交り、それも日本語が通じない同胞の様な風貌である。
 
 賑やかな昼食をすませ、少々雑音のある中での句会となる。
 
春光や句座より仰ぐ天守閣 窓城
 
 今日の吟行の参加者は35名で最近にない多数の御参加、誠に有難うございました。騒音や落ち付けないもろもろ。好天に恵まれた事もあってとお許し下さい。
 
 先生にも、満足な選や選評ができなかったのではないかと思います。申訳ありませんでした。次回もまたよろしく御越し下さい。
 
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大阪城パークセンターのホームペーシ
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